アレキサンダーファン
2016年06月掲載
プロフィール
伴野涼介(ともの・りょうすけ) 伴野涼介
(ともの・りょうすけ)

茨城県つくば市出身。4歳よりヴァイオリンを、13歳よりホルンを始める。東京藝術大学卒。在学中に同声会賞を受賞。同大学大学院修士課程修了。平成22年度文化庁新進芸術家在外研修制度によりフランクフルト音楽・演劇大学で学ぶ。ヴァイオリンを井崎郁子氏に、ホルンを脇屋俊介、守山光三、松ア裕、水野信行、エサ・タパニの各氏に、ナチュラルホルンをウルリッヒ・ヒューブナー氏に師事。また、藝大在学中に副科ヴィオラを浦川宜也氏に師事。現在、読売日本交響楽団ホルン奏者、東京藝術大学非常勤講師、日本ホルン協会常任理事、アレキサンダーホルンアンサンブルジャパン、第三のホルンアンサンブル、ホルン広場"The Horn Square"、アンサンブル・ベルデ各メンバー。


使用楽器:
アレキサンダー 103M、ほか
使用マウスピース:
シュミット オリジナル115(改)

第48回 プレーヤーズ
伴野涼介 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─よろしくお願いします。

 最近は、日本ホルン協会の会報に載せるインタビューをする側なんですが、される側というのも緊張しますね。


─日本ホルン協会も、若返りが進んでいるのか、最近面白い企画をいろいろされていますね。都電でホルンを吹くとか、ワーグナーテューバのワークショップとか。

 企画好きな人間が常任理事に入ったということもあると思いますし、盛り上げていけるといいです。


─伴野さんはいつ頃から常任理事を?

 1期2年の今2期目なので、3年前からですね。野瀬(徹)さんのやっていた会報作りの仕事を受け継いだ形になります。wordも使ったことがなかったのに(笑)。



どうしてもホルンがやりたくて、楽器を買い、習いに行き……

─伴野さんはホルンを始める前、何か楽器をやっていたのですか。

 4歳頃からヴァイオリンを習っていました。両親がアマチュアでヴァイオリンを弾いていて、3兄弟の一番上の兄もヴァイオリンをやっていたので、それを見て「僕もやりたい!」と言ったらしいです。全然覚えていませんが(笑)。結局高校3年生くらいまでヴァイオリンのレッスンは受けていました。音大を受けるとなったときに、ヴァイオリンで受けるだろうと思った人もいたみたいです。でも、個人的にはあまり熱心でなかったかもしれません。


─今弾くことはないんですか。

 今も弾きますよ。でもどちらかというとヴィオラの方が多いです。ヴァイオリンだと、「ちょっと音が高いなあ」という感じがあるんですよ。


─それでホルンなんですね。

 小学校のときには金管バンドでユーフォニアムを吹いていました。両親の知り合いの家に行ったときにニッカンのコルネットがあって、吹いてみたら楽しかったみたいで、そこで金管楽器に目覚めましたね。でもやっぱり音域的に中低音がよかったみたいです。


─ホルンを始めたのは、中学校から?

 はい。吹奏楽部に入部するつもりでしたが、将来はオーケストラをやりたいなあとも思って両親に相談したところ、「出番が多いからホルンがいいんじゃない」と言われて。そのときはまだホルンがどういう楽器かわかっていなかったのですが、ホルンを第1希望にしました。
 ところが先輩にはユーフォニアムをやっていたことを知られていたので、希望叶わず1年生の3学期くらいまではユーフォニアムを吹いていました。でもホルンをやりたいなとずっと思っていて、先に楽器を買い、親に「習わないと上手くならないよ」と言われて習いに行き、そして部活でも「ホルンにしてください」とお願いしました。


伴野涼介


─どなたに習ったのですか。

 元東フィルの脇屋(俊介)先生です。近所に東京藝大でピアノを教えていた先生がいて、今でもうちによくお茶を飲みに来るのですが、その方の都立芸高時代の同級生ということで紹介していただきました。それが中学1年の10月くらいでした。当時は将来のことはとくに考えていませんでしたが、東京藝大に入るまで、ずっと習っていました。


─脇屋さんは、あまりお弟子さんを取っていませんよね。

 そうですね。私が知っている限りでは東フィルの大東(周)さんとか、今井(彰)さん、くらいでしょうか。東京藝大の守山(光三)先生の退官記念パーティーのときに、脇屋門下が大集合して4人で写真を撮りました(笑)。


─音大を目指そうと思ったのは?

 高校に上がる前くらいに、親と将来のことを話したとき、ほかにやりたいこともなかったので「音楽かな」と考えました。先ほど話した一番上の兄は9歳上なのですが、一般大学に行ってからヴィオラで東京藝大に行きました。学年は1つ上なので、音楽の道を目指したのは同じくらいの時期ですね。今は横浜シンフォニエッタなどのヴィオラ奏者をしています。



版による違いを調べたり、自筆譜を確認したり

─受験にあたって何かしたことはありますか。

 中学時代は変なアンブシュアですぐバテるような吹き方だったので、本を読んだりしてアンブシュアなどについて調べて直しました。ガンサー・シュラーの『ホルンのテクニック』などがなぜか学校の図書館にあったのと、あとは脇屋先生に習い始めたときに「これだけは持っておきなさい」と言われた、フィリップ・ファーカスの『金管楽器を吹く人のために』とか、『プロ・プレイヤーの演奏技法』『フレンチホルン演奏技法』なども参考にしました。


─藝大時代の先生は?

 守山先生でした。最初のレッスンで「アタックがないね」と言われたことは今でも覚えています。確かに、当時はアタックが何かわかっていませんでした。


─ホルン吹きにとってアタックは確かに問題ですが。

 アタックというのはつまり、タンギングをしなくても音が立ち上がるかどうかが問題なんです。その最初のレッスンで、タンギングなしでロングトーンをするように言われたのですが、息だけスーッと出て音が出ない瞬間があるわけです。それが「アタックがない」ということだと。息が唇を弾いて音が出るのがアタックなんです。きちんとしたアタックは息が出ると同時に音が出ることで、それはタンギングとは分けて考える必要があると言われて、納得しました。
 あとはマウスピースに取り付けて息を吹き込むとピンポン玉が浮く装置を使って、エチュードの1フレーズを吹くとか、本来は呼吸機能を調べるのにも使うスパイロメーターを使ったトレーニングとか、いろいろやりました。息というのは目に見えないものなので、それを可視化することで自分の感覚と起こっていることが結び付くんです。
 それまで脇屋先生のもとでやっていた基礎的なことが、守山先生によって理論づけされたという感じです。脇屋先生は「リップスラーは下顎を動かしてやる」と言っていましたが、それは口の中の空気の圧力に直結しているんだなと納得することもありました。


伴野涼介

─他に印象に残っていることは?
 楽譜の読み方についてかなりやりましたね。ただそこに書いてある音符を吹くだけでなく、楽譜の裏側を見るというか、背景にまで踏み込んで見ることで、「なぜそう書いてあるのか」と考えるようになりました。例えば古典なら「ナチュラルホルンだったらどう吹くか」と考えるとか、「どういう音型にするのか」「それはなぜか」まで、当時の演奏環境から考えて行くんです。それは音楽史はもちろん、世界史とも結びついて来ます。そういうことは今も僕が気にするところですね。


─さっきの、本を読んでアンブシュアを改善した話にもつながりますが、いろいろ調べるのがお好きなんですね。

 パート譜を見て「これ、本当かな?」と思ってスコアを見たりとか、版による違いを調べたりとか、自筆譜を確認したりとか、よくしています。最近は自筆譜に基づいて校訂された楽譜が使われるようになりましたが、以前はミスプリントをそのまま演奏している場合も多かったわけですから。
 例えばサン=サーンスの交響曲第3番の最後の方(終楽章621小節目)で、3、4番が本来はゲシュトップ(+)なのにパート譜はテヌート(−)になってしまっているところがあって、テヌートで演奏されていることも多いです。あの曲は1、2番がナチュラルホルン、3、4番がバルブホルンを想定して書かれていますが、その部分は1、2番がinCで真ん中の〈シ〉でもともとストップ音ですし、3、4番がそのオクターブ上を吹いていて、しかもスフォルツァンドが付いていますから、同じようにゲシュトップの音を出すことを意図して書かれているんです。ところが今は1、2番も普通にオープンで吹けてしまうので、3、4番のミスプリントが全く問題にならないんですね。


─常々疑問に思っていたのですが、ブラームスの交響曲第1番第2楽章の3小節目で、inEでファ#の音にゲシュトップフトが書かれている場合がありますが、あれはどうしていますか。

 自筆譜を見ると2番の音の下にgestopftと書いてあるのですが、2番のこの音はナチュラルホルンで吹いた場合、唇によるベンディングで半音下げることもあるんです。でもブラームスはよりくぐもった音色を求めて右手を使って下げて欲しかった、ということかな、と思います。少なくとも、現代的なゲシュトップフトの金属的な音色が欲しかったわけではないと思います。僕が2番を吹くときには、指遣いはF管の2番のままハーフストップのようにして下げて演奏します。



“攻撃的ディフェンダー”の下吹き

─ドイツに留学されたのは、読響に入られてからですよね。読響はいつから?

 2005年入団です。当時は読響のオーディションには24歳以上という年齢制限があり、大学院の2年生のときちょうど誕生日を過ぎてからタイミングよくオーディションがあったので受けられました。試験期間を経て、翌年の8月1日に正式に団員になりました。


─下吹きというのは、いつから意識されていたのですか。

 読響に入ってからです。東京藝大にいた頃は上、下の区別なくやっていました。その中でどちらがやりやすいかということはありましたが。僕自身は上吹き、下吹きとあまり考えませんでした。たまたま読響の募集が下吹きだったので受けてみたということで、他のオーケストラのオーディションにも上下関係なく応募していました。とにかく「オーケストラに入りたい」というのが一番で。


─実際に読響に入って、いかがでしたか。

 苦労しました。なにしろ、トップが山岸(博)さんという巨匠ですからね。僕はそれまでオーケストラの経験も多い方ではなかったし、最初は失敗しないことで精一杯。余裕はないですよね。試験期間中にワーグナーの《ラインの黄金》の冒頭の8番ホルンのソロを吹いたのですが、緊張もしていたしテンポがよくわからなくて、リハーサルでいきなり止めてしまったときにはどうしようかと思いました。でも、山岸さんの音を特等席で聴けて、読響の音色感のようなものを浴びられたのではないかなと思います。


伴野涼介


─伴野さんは、ご自身のことをどんな下吹きだと思いますか。

 あまり自分のことを「良い下吹き」だとは思っていないんです(笑)。上の人からしたら、もっとやりやすい下吹きはいるのかもしれません。結構あおることもあるし、“攻撃的ディフェンダー”という感じでしょうか。入団してからもおっかなびっくりやっているなか、山岸さんに言われていたことが「上吹きをなめてかかれ」ということでした。どのくらい本気かはわかりませんが。「上吹きはビビっているんだから、下を吹いている方がそれよりビビってはいけない」ということを言っていました。上吹きに遠慮せず積極的にやれということでしょうね。


─「あおる」というのは、具体的にはどんなことなんですか。

 音量やフレージングなどで、もちろん「1番がこう来たからこうしよう」とやりますが、こちらから「こうふうに行かない?」とやることもあります。あとは1、2番のユニゾンなどでは1番と同じか、「オラオラ」と行く感じでより積極的にやることもあります。最近はほとんどないですが、入団してしばらくは1番のアシスタントをやることもよくあったので、その経験が生きているのかもしれません。
 下吹きだからといって、あまり受けにまわりすぎてもよくないように思います。積極的に行った方がいいのかなと。ブラームスなどでは2番が一番下の音になることもあるので、そこで遠慮がちに吹くとバランスも悪いですから。
 そもそも下吹きの人にちゃんと習ったことがないので、オケで吹きながら自分で探ってきたという面もあります。唯一、つの笛集団のキャンプで野瀬さんにレッスンしてもらったくらいでしょうか。


─さて、読響に入られてから、ドイツ・フランクフルトに1年間留学されています。

 もともと大学院を卒業したら行こうと思っていたのですが、読響に受かったので延期していました。守山先生にも相談したのですが、クラスに空席があって、しかもオーケストラを休団できる1年間だけ引き受けてくれる先生というと限られて、まずエサ・タパニ先生の名前が出てきました。彼には一度藝大時代にマスタークラスを受けたこともあり、レッスンのやり方や人柄などにもシンパシーを感じていました。コンタクトをとったところ快諾してもらえて、留学前にはドイツまでレッスンを受けに行ったりしましたし、なんと読響にゲスト首席として来てもらったりもしました。


─ドイツ留学はいかがでしたか。

 できることならもう一度行きたいですね。今まで一番練習したと思います。それまであまりやっていなかったエチュードなどもやり込みましたね。コープラッシュなどの基本をはじめとして、ミューラーもやりましたし、日本でやり残していたマキシム・アルフォンスの5巻6巻にもいい機会だと思って挑戦してみました。6巻は今でも手を出しては引っ込める、という感じですが(笑)。それから、ナチュラルホルンを名手のウリ(ウルリッヒ・ヒューブナー)にレッスンを受けられたことも大きい経験となりました。


伴野涼介

─オーケストラに入ってから、そういう時間が取れたというのは貴重なのではないでしょうか。
 毎日の仕事をしていかなければならない中で、持っていた心配事が解決できていなかったりしたので、1年間たっぷり練習したことで、帰って来てから効果が目に見えてきたような気がします。日本に戻って半年くらいたったときに「あれ? 吹き方変わってる」とふと気が付いたりとか。以前苦手だったところがそうでもなくなっていたんです。
 エサのレッスンを受けて、自分の楽器の吹き方がそれほど良くなかったことに気付けたというのもよかったです。息のこととか、響きのこととか。日本にいたときから自分はかなり明るい音だと思っていたのですが、「もっと明るく、響かせて」と言われ続けました。単に明るい、暗いではなく、そのときどきでどのような響きを作るのか、ということを頻繁に言われました。


─実際には「響き」というのはどうすればいいのですか。

 結局は「どう出したいか、が自分の中にはっきりあるかどうか」じゃないでしょうか。エサは実際に吹いてくれるので、参考になりました。pはとことん小さいし、fもものすごい音量でした。それも「パリパリ」という感じではなく、「メリメリ」という固まり感があって、狙い撃ちして来るような感じでしょうか。それがホールに響き渡るという感じです。エサは「楽な楽器がいい」とアレキサンダーの403Sを使っていました。F管の響きも気に入っているようでした。



直線の安定感よりも、ハンドリング重視の楽器を求めます

─伴野さんはいつ頃からアレキサンダーを使っているんですか。

 高校2年生のときからです。習っていた脇屋先生に選んでいただきました。新古品のような状態で、なぜかラッカーが途中まではがされて、バルブセクションの周りだけ残っていたんです。後で全部はがしましたが。イエローブラスのワンピースの楽器で、それがワンピース人生の始まりでした。その楽器を、読響に入ってしばらく使っていました。


─ワンピースとベルカットだと、やはり違いますか。

 他の人のベルカットの楽器を吹かせてもらったりしますけれど、「何か違うな」と。ベルカットは下の音域で、良く言えばまとまるような感じがあるんですが、ワンピースの方がもっとフリーに吹けるように思います。


─今の楽器はどのくらいお使いなんですか。

 6年ほど前に購入したものです。最初はラッカー仕上げでしたが、ラッカーはドイツ留学中にはがしました。吹いた感じもだいぶ変わりましたし、使っているうちにはがれていくのが嫌で、それなら先にはがしてしまえと(笑)。マウスパイプも、マインツのアレキサンダー社で何本か試してみて、良かったものに交換しました。ものによってウォーターキーの位置が結構違いますし、吹奏感も変わってきます。方向性としては、息がスムーズに入っていって、「打てば鳴る」感じを目指しました。
 支柱もいくつか付けたり外したりしてみましたが、今はFの3番の枝管に支柱を付けています。共振を止めることと、剛性を高めるという狙いです。あと、メインの抜き差し管の材質によっても、ベルを替えるのと同じくらい変化があるので、いろいろ試しました。4番のロータリーキャップを替えてみたこともあります。上の音だけ吹いていると、昔の103のものは今のものより重量があるためがっちりしていいのですが、下を吹いたときに開放的に音が出てくる感じが少なくなってしまうので、今は現行の標準のものにしています。




─楽器には自由度を求める?

 直線の安定感よりも、ハンドリング重視の楽器を求めています。車に例えれば、排気量が大きくて安定して走る高級車よりも、エンジンをぶん回して走るスポーツカーのような感じでしょうか。やったことがそのまま出る楽器ですね。ベルカットになると、それが安定方向に振れる気がします。


─伴野さんが感じる103の良さはどんなところですか。

 今使っているイエローブラス・ノーラッカー・ワンピースの楽器だと特に、音色の変化が付けやすいですね。軽い音からヘビーな音まで出せますし、自分がやったことによく応えてくれるところだと思います。オーケストラではいろいろなレパートリーをこなさなければならないので、とくにその良さが感じられます。


─1103を考えたりはしませんか?

 1103も良いと思います。でもどうせ使うなら、ストップバルブ付の1104が良いなあと。ストップバルブがあると、F管でLowB♭まで下がれるんです。例えばベートーヴェンの交響曲第4番の冒頭など、B♭管のペダルで吹くのは、ちょっと音色が違うかなと思うんです。他にもF管で123を押したときに、「もう半音下がれれば」と思うことはありますね。
 ストップバルブがあれば替え指の選択肢も増えますし、マーラーの交響曲第5番の最初の方にあるような低い音のトリルなどももっとよくできるようになるかなと思います。一度、1番の抜差管に別の楽器の3番のものを付けてみたこともあるのですが、実用的ではないなと(笑)。
 まあ、今の楽器でも不自由しているわけではないんですけどね。


─今、東京藝大の非常勤講師をされていますが、教えるときにどんなことを重視していますか。

 「ただ上手なホルン吹きで終わってほしくない」と思っています。楽器のことも教えますが、それよりも「音楽家としてどうあるべきか」を教えたいですね。「音がハズれにくいから」とか「苦手なので」というテクニカルな理由で、音楽的にネガティブなやり方を選択してしまうことがままあるので。ホルンという楽器を考えずに「他の楽器や歌手だったらどう演奏するか」と言うこともあります。息の使い方が弦楽器のボウイングと重なるところも多いので、「弦楽器だったらどう弾くか想像してごらん」と言ったりとか。
 一方、楽器特有のテクニックを意識させるケースもあって、古典の曲などは「当時はこの音はストップだったから、もう少しストレスをかけて吹く」とか。例としてナチュラルホルンで吹いたりもします。


─今後やってみたいことはありますか。

 ナチュラルホルンのアンサンブルをやりたいとずっと思っていました。しばらくそのままになっていましたが、そろそろ計画を始めているところです。
 ホルンアンサンブルと言えば、6月28日にホルン広場The Horn Squareの第1回演奏会があります。東フィルの高橋(臣宜)さんが声をかけて、東京藝大卒業生で年代の近い人が集まって12人でホルンアンサンブルをします。プログラムも大学時代によくやっていた曲が多いです。チラシにあるイウェイゼンの八重奏曲《グランド・キャニオン・オクテット》やターナーのホルン四重奏曲第2番《アメリカーナ》、ワーグナーの《ローエングリン・ファンタジー》をはじめ、ボザの《4本のホルンのための組曲》とか、ガブリエリの《第七旋法による8声のカンツォン第2番》なども演奏します。
 あとは、いつか一生に一回くらいはリサイタルをやってもいいかなと思っています。先日、地元のアマチュアの弦楽アンサンブルで、ホルンソロを吹いたことがきっかけで、そんなことも思い浮かびました。ちなみにその弦楽アンサンブルでは両親と妻とともに、出られるときは毎週土曜日の練習に参加してヴィオラやを弾いています。ヴァイオリンを弾くこともありますし、最近はチェロにも手を出そうとしているのですが、なかなか練習する時間がなくて(笑)。


伴野涼介



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