アレキサンダーファン
2016年05月掲載
プロフィール
山岸リオ(やまぎし・りお) 山岸リオ
(やまぎし・りお)

神奈川県出身。1981年生まれ。15歳よりホルンを始め20歳で渡独し、リューベック国立音楽大学を卒業。同時にディプロムを取得。その間にオーケストラ、オペラや室内楽での演奏をはじめ、ソリストとしてもシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭やモーツァルト祭などに出演し好評を博す。また、ユーディ・メニューイン財団「Live Music Now」の支援により、ホルン四重奏団「Nordic Horning」での活動を精力的に行なう。2008年に帰国し、2014年より読売日本交響楽団団員。これまでにホルンを、山岸博、ブルーノ・シュナイダー、クリストフ・コーラー、日高剛の各氏に師事。


使用楽器:
アレキサンダー 103ML
使用マウスピース:
JK W2DM-A1

第47回 プレーヤーズ
山岸リオ インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─お父様がホルン奏者(山岸博氏)ということで、やはり小さい頃から英才教育を?

 ホルンを初めて触ったのは小学1年生頃なのですが、1か月もしないうちにやめてしまいました。やはり外で遊ぶ方が楽しかったし、父も無理してやらなくてもいいという感じでした。しかし、小さい頃から習っていたピアノとソルフェージュはなかなかやめさせてもらえませんでした。自分としては好きではなかったのですが(笑)。サッカーをしてそのままの格好でピアノのレッスンに行っていつも「手を洗って来なさい」と怒られていました。


─スポーツ少年だったんですね。

 そうです。サッカーとソフトボールは町内のチームにも参加していましたし、サッカーは小学5年生から中学生までずっと部活に入っていました。ピアノも中学校いっぱいくらいまで続けていて、校内の合唱コンクールで伴奏とかしていました。周りは驚いていましたけれど(笑)。
 ただ、中3のときにサッカーの試合中に怪我をしてしまって、復帰したら大会などはほとんど終わってしまっていて。以前から「いつかは音楽をやるだろうな」とは思っていたので、「そろそろホルンをやろうかな」と。高校に入る直前にきちんとホルンを始めることにしました。そのために父が古い楽器をオーバーホールに出してくれたのは嬉しかったですね。


─なぜホルンだったんですか。

 ホルン以外は考えませんでしたね。演奏会に行ってホルンの魅力を感じてもいましたし。でも、小学生の頃に「おまえの口はホルンに向いていない」と言われたこともあって、「それならファゴットかな」という時期もありました。どうもその辺りの音域が好きなんです(笑)。そう言えば、この間引っ越しのときに小学校の卒業アルバムが出てきたのですが、将来の夢は「ファゴットを吹いて音楽家になる」と書いてありました。当時はファゴットを持ったこともなかったのに(笑)。


─高校では吹奏楽部に?

 そのつもりで、吹奏楽部が有名なところに行こうかとも考えたのですが、それだと自分の練習をする時間がなくなりそうだったので、自宅から近い高校に行きました。部員が十数人しかいない吹奏楽部でしたが、アットホームで楽しかったです。パートもそろっていませんでしたが、週1回の合奏を楽しみにしていました。同時に、藤沢のジュニアオーケストラにも入っていました。一時期はもうひとつアマチュアオーケストラにも所属していて、1日に学校の部活と2つのオケの練習をかけもちしたこともありましたが、さすがに大変で長くは続きませんでした(笑)。


山岸リオ


─最初から、プロを目指そうと?

 そうですね。やるからには音大には行こうとは思っていました。父は止めたらしいのですが(笑)。


─レッスンも受けていたのですか。

 父に受けていました。でも、デュエットばかりしていましたね。途中で曲が吹きたくなって僕から「やろうよ」と言うのですが、それはそれで勉強になりました。きちんとしたレッスンになったのは、むしろドイツから帰って来てからですね。オーケストラのオーディションを受けるという目的もあったので。
 なにしろ相手が父なので、高校生の頃はサボって遊びに行ったこともありました。レッスン自体は厳しくなかったですが、練習することに関してはうるさかったです。学校が終わって家に帰ってすぐ出かけるといい顔をしないので、まずホルンを練習して、夕飯を食べてから遊びに行っていましたね。夜遊びと言っても悪いことをするわけではなくて(笑)、ビリヤードしたり、夜釣りをしたりですが。


─結局、音大には?

 東京藝大を受験したのですが駄目で、「とりあえずドイツに行ったらどうだ?」と言われて、ドイツに音大に行くことにしました。もともと、僕はケルン生まれなんですよ。2歳半までしかいなかったので覚えてはいませんが、一度はドイツに行ってみたいと思っていました。父の友だちでディートヘルム・ヨナスというオーボエ奏者がいて、家族ぐるみで仲がよくて、姉もオーボエ吹きで彼の生徒でしたが、彼に相談したらブルーノ・シュナイダー先生を勧められて、フライブルクの音大を目指すことにしました。


─ドイツ語の勉強はどうしてましたか。

 日本で語学教室に通っていました。ドイツに留学する日本人の中では、かなり準備してから行った方だと思います。自己紹介くらいしかできない人も見かけますが、それはよくないですよね。先生に対しても失礼ですし。


山岸リオ

─ではフライブルク音大での授業も問題なく?
 シュナイダー先生にレッスンはしてもらっていたのですが、結局フライブルク音大には行きませんでした。試験も受かったのですが、席が空いていなくてシュナイダー先生のクラスには入れなかったので。
 そこでまたヨナス先生に相談したら、彼と学生時代に一緒だったというクリストフ・コーラーという先生を紹介してくれました。学生時代から勤勉な人で、2人そろって朝一番から練習していたそうです。「今日は遅い」というときでも7時半とか(笑)。それで19歳でベルリン・フィルに入ってしまったという、天才なんだけれども努力の人でもある。彼が教授になったばかりというリューベックに行くことになりました。



力むくせがすぐ付いてしまうので、バテないように練習すること

─どんなレッスンだったのですか。

 コーラー先生はものすごく熱心で、最初のレッスンは4時間! アンブシュアを確認したり、少し直されたりして、「では持ってきた曲を吹いてみようか」と言われたときには、疲れてしまって全然吹けませんでした(笑)。タイミング的に、入学試験を受けるのはその後になったのですが、またサッカーで怪我をしてしまってね。フライブルクでサッカーチームに入っていたのですが、州の大会で鎖骨を折ってしまったんです。先生に電話したら、案の定ものすごく怒られましたが。全治1か月と言われましたが、2週間くらいで無理やりホルンを吹いていました。でも無事入試にも受かって正式にリューベック国立音楽大学の学生になることができました。
 コーラー先生のレッスンは週2回、1時間半ずつあって、それ以外にグループレッスンも週2回、アンサンブルレッスンが1回、それから「フォアシュピール」という人前で吹く時間も週1回ありました。


─レッスン内容で印象に残っていることは?

 当時先生はもうプレーヤーとしては活動していなかったので、楽器は持って来てもほとんど吹くことはありませんでした。これは先生のモットーらしくて、コーラー先生はペンツェルとバウマンに師事していたのですが、2人ともレッスンではほとんど吹いてくれなかったそうです。先生は「見本を吹いてしまうと、その場では真似して吹けるようにはなるけれど、実際は身になっていない場合が多い」と言っていました。
 先生はベルリン・フィルに入ってからも毎日5〜6時間練習していたそうですが、「あれはクレイジーだった」と言っています。「練習は2時間ずつ計4時間すれば十分。それもバテないように練習すること」だそうです。バテると鳴らそうとしてどんどん力が入ってしまうので、力むくせがすぐ付いてしまう。とにかくリラックスして吹くことを強調していました。それから、「基礎練習をするときでも、ちょっとしたウォーミングアップでも、音楽性を持って吹くように」といつも言っていましたね。
 曲に関しては「テンポを決めて練習しないこと」。「音楽は生き物だから、そのときに自分がやりたいテンポでいい。自分の感情に逆らわず、自然に行け」ということです。


─メトロノームに合せて練習しないということ?

 走ったり遅くなったりはしないように、メトロノームでさらうようには言われました。たぶん先生が言いたかったのは、「機械的にならない」ということだったと思います。フレージングによって緩急を付けるのですが、後でゆっくりにしたいのだったらその前を少し早めに吹いておくなど、土台となるテンポはきちんとあって、その上で緩急を付ける。そういうアゴーギクを非常に大事にしていました。
 「音楽に沈みなさい」とか「自分が音楽だと思いなさい」とか、「聴いている人の心を動かせるのは、奏者の心だけだ」とか、様々な表現で説明してくれるのですが、使うドイツ語も難しくて、ついて行くのが大変でした。自分としてはインタビューくらいならドイツ語でできるくらいに話せるのですが、最後まで「おまえはもっとドイツ語を勉強しなさい」と怒られていました。


山岸リオ

─レッスン以外の授業はどんな感じでしたか。
 とにかく試験が徹底的でした。例えば音楽史では、試験は1人20〜30分の、面接形式での試験を行ないます。教授が前に3人座っていて、資料の持ち込みもなし。僕は作曲家2人について話すのですが、教授は何でも知っていて「彼はその当時誰に刺激を受けて作曲しましたか?」などという質問が飛んで来ます。年号とかはあまり重要ではないんですね。誰と会って影響を受けたかとか、曲ができた背景などを大切にしていました。
 それで思い出しましたが、コーラー先生のレッスンでヒンデミットのソナタをやったことがあって、音を抜かず、とにかく真っ直ぐに吹けと言われました。理由を聞いたら、「この曲が書かれた20世紀代初頭というのは美術や建築もシンプルを目指した時代で、今ちょうどハンブルクの美術館でその時代の展覧会をやっているから、週末に見に行こう」と言われて、車を出してくれて一緒に見に行ったこともありました。



下吹きというのはその場面場面で臨機応変にふるまうことが大事

─大学を卒業してから、そのままドイツで?

 1年も経たないで日本に帰って来ました。日本で自分がどのくらいのレベルかわからず「楽器を続けようかどうしようか」とも考えていましたが、父に「これだけ吹けるんだったらいけるよ」と言われて、オーディションを受け始めました。


─お父様がいらっしゃった読売日本交響楽団を狙って?

 いえ、それまでいくつも受けて、落ちました。上がり性だったこともあったのですが、ずっとうまくいかないとそれが癖になってしまうんですね。父にレッスンはしてもらっていたのですが、父以外の人に見てもらいたいと思い、日高(剛)さんのレッスンを受けたら「これだけ吹ければ大丈夫」と言っていただけたので、「自分のやってきたことは間違っていなかったんだ」と思えて、読響のオーディションでは安心して吹くことができたような気がします。


─運命的ですよね。

 読響で僕が試用期間のときは父は現役で、父が引退した《英雄の生涯》では僕は2番ホルンを吹いていたんですよ。


─親子が1番2番と隣同士で吹くというのも、すごいことですよね。現在、読響ではどんなポジションを?

 2番、4番を吹いています。いわゆる下吹きですね。僕は日本では下吹きでしか受けたことがありません。それまで特に下吹きを意識したことはなかったのですが、コーラー先生と相談して決めました。「どちらでも行けるとは思うけれど、ちゃんと仕事をするのなら下吹きの方がいい」と言われて。


─オケに入ると下吹きの難しさもいろいろと思いますが。

 そうですね。ひとことで言ってしまえば、上の邪魔をしてはいけないけれど、目立たないように控えめに吹けばいいわけでもない。目指しているのは、きちんと聴こえるけれども邪魔にならない、太くて溶け込むような音ですね。でもきついユニゾンなどでは1番を助けられるとか、そういう気づかいができないと下吹きは駄目だと思うんです。例えば本番で上の人がきつくてpを大きめに吹いたとしたら、こちらも大きめに吹いたりもします。下吹きというのはその場面場面で臨機応変にふるまうことが大事です。


─今、読響の首席は松坂(隼)さんと日橋(辰朗)さんですが、2番を吹くときに違いはありますか。

 もちろん個性はありますが、それほど大きく違うタイプではないと思います。


山岸リオ

─今はその心配はないようですが、仮に1番の音程が悪かったらどうします?
 基本的にはトップに合わせます。それで怒られるのもトップの人(笑)。例えば上の音がきつくてぶら下がったりしたときに、こちらがオケに合わせてしまうとますますきつくなってしまいますから。もちろん気づいたことがあれば言うこともありますが、それでプレッシャーを与えたりとか、悪い方に行かないように気を付けています。ほとんどそういう場面はありませんけど(笑)。



良くも悪くも、自分がそのまま出る楽器

─お使いの楽器は、アレキサンダー103ですね。

 今まで103しか吹いたことがありません。103しか吹けないと言った方がいいかな。今使っている楽器は1年半くらい前に買ったのですが、下吹きには1103も良いという話を聞き、試してみました。でも自分の求めているイメージと違って、結局103にしました。独特のバランスとか、短めのマウスパイプとか、もう103に身体が慣れてしまっているんですね。


─ワンピースの楽器なんですね。

 ドイツではベルカットを使っていたのですが、帰国してから父の赤のワンピースの103を吹かせてもらって「やっぱり安定するな」と。この楽器を買うときにもベルカットとワンピースを両方吹いてみたら、fを吹いたときやスラーを吹いたときに、ベルカットのリング部分に抵抗を感じたりしました。


─イエローブラスにしたのは?

 もともと僕の持っている音色が若干暗めなので、黄色の方がオケに溶け込むように思いました。


─読響はみなさんアレキサンダーですね。

 そうですね。伴野さんが別の楽器のこともありますが、今はどちらかというとアレキサンダーを使う方が多いかな。でも、アレキサンダーでなければ読響に入れないということではなく、要するに合えばいいということで、楽器にはこだわってはいません。でもアレキサンダーを吹いているということはそういう系統の音が好きということで、合いやすいということになるのだと思いますが。


─今さらかもしれませんが、103の良さはどこにあると思います?

 良くも悪くも、自分がそのまま出るということでしょうか。息を入れなければ全然鳴らないけれど、自分が良い状態で吹いたときには全部応えてくれる。それが楽しいんですよ。あとは、ベルリン・フィルとかミュンヘン・フィルなどのドイツのオケが好きなので、103の音の伸びは魅力ですよね。


山岸リオ

─マウスピースは?

 JKのW2DM-A1というモデルです。内径17.5mmなので、割合標準的なものですね。昔は19mmのマウスピースを使っていて、それで卒業試験にブラームスのトリオなども吹きました。それから小さくしていきましたが、基本的にマウスピースはあまりいじらないようにしています。例えば低い音をもっと太く出したいからといって深いモデルを使うと、別のところに良くない点が出て来るから、それよりは自分が練習した方が早いかなと。マウスピースを替えるだけで演奏が改善できるとは思っていませんので。


─これから、やってみたいことなどありますか。

 もっとアンサンブルをやりたいですね。リューベックで学んで今日本のオケにいる人たちと一度木管アンサンブルをやったことがあったのですが、すごく楽しかったです。
 それから、まだあまり周りには言っていませんが、ホルンカルテットを結成しました。メンバーは読響の日橋君と、神奈川フィルの豊田実加さんと熊井優君です。秋くらいには演奏会をしたいと思っています。「一緒に吹きたい」と思った人たちですので、よく合いますし、サウンドとか響きを大事にしていきたいです。


山岸リオ



「趣味」のコーナー

─音楽以外で趣味は?

 1人目の子どもが生まれる前に、一時期登山にはまりかけました。安産祈願しに丹沢の方に行ったのですが、それがとても楽しくて。今はあまり行けませんが、後々趣味にしたいなと思っています。スポーツ観戦も好きなのですが、子どもが2人とも小さいので、休み=子どもと遊ぶことになっています。


─サッカーはしていないんですか?

 読響のサッカー部を復活させました! フットサルをするのですが、いつもだいたい十数人集まります。飲み会まで込みでね(笑)。近いうちに野球部も復活させる予定です。そちらは日橋君に任せるつもりですが。


─今度は怪我しないでくださいね。

 気を付けてはいます。口にボールが当たらないようにガードしますし、特に弦楽器の人がキーパーをやっていたりするとシュートも手加減しますよ(笑)。



取材協力: 東京芸術劇場 



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